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2007 10,17 20:38 |
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硬派な内容ばかり、と叩かれている自分ですが、今日も硬派で(ぉぃ
実はテスト期間中で余裕が無いんです(汗 小説は来週更新になるかなーー情報処理技術者試験という国家試験も近いので時間が空かない(汗汗 というわけで今回は小説でもなんでもなく、ちょっとした問題定義。 今のアニメとテレビを見ておもったことを書いてみました。 あらかじめ言わせてもらえば、私個人の考えに過ぎないので、これをどう捕らえるかは皆さん次第かもーw 現在のアニメ業界、いえテレビ業界では「視聴者が求めるもの」を生み出し、送り出す手法が大きくなってきています。
これは、確かに納得のいくものです。自分が見たいと思っているものを送り出してくれれば、それは嬉しいものですし また、それはそれで正しく、また納得のいくものです。 ですが、それだけでいいのでしょうか? 過去のアニメ業界は、今ほど視聴者が求めるものを送り出していたとは到底いえないでしょう。 それは、アニメ業界が図らずもビジネスチャンスとは無縁だったからです。 当時のアニメ業界では視聴者の意見依然にお金になり得ない、だからこそ製作サイドが訴えたいものを、見てもらえるような作品を自分で作り出し、それを推し進めるという考えが基本でした。 これは図らずもテレビ業界初期において、あくまでも「公共の利益」に則った報道をしていた各国のテレビ業界と似ています。 用は初期のアニメ業界では「自分たちが考えるものを見てもらいたい、それで感動してもらいたい。楽しんでもらいたい」という考えでしたし、またテレビ業界では「自分たちが持っているニュースを公共のために配信したい」という考えがありました。 ですが、その変更にそんなに時間はかかりませんでした。 知っての通り、現在のテレビ局ではまともな報道はされてません。ニュースをニュースとは思えない報道ばかりです。 これは「公共の利益」からテレビ局が「企業としての利益」を求め始めたからです。 上記で語ったようにアニメ・ニュースの初期においてはそれで「儲けられる」とは誰も考えていませんでした。 初期のアニメにおいては基本的に制作費が膨大(日本のアニメは外国よりも安かったとしても)なので利益を得れるなどとは考えもしませんでしたし、また単なるニュースを報道するだけの報道番組が利益を生むなどとは考えもしなかったわけです。 ところが、現代のアニメやニュースを見てください。どうみても利益主義です。 某みの○んたが出ている朝のニュースはその典型的な例です。あれにニュースとしての本質がジャーナリズムがあるでしょうか? どう見ても、視聴率と利益を求め、なおかつ「視聴者が求めるニュース」を垂れ流しているだけです。あれに「公共の利益を求めていたニュース」の面影はもう見えません。 また、アニメもそれが商業ビジネスとなるにつれて「視聴者が求めるもの」を送り出せばよい風潮が強まりました。それが間違えではないものの、アニメとしての価値は明らかに落ち、典型的なアニメ、なんていわれるようなアニメが乱立しました。用は視聴者が求めるからこそ生まれたそれは、結果としてそれが本来あった目的を奪ってしまいました。 ニュースもアニメも、別にすべてがすべてそうなったとは言いません。それは言いすぎですし、そもそも過度でなければ「視聴者が求めるもの」を送ることに間違えはないのです。 例えば、例としてCS放送は「視聴者が求める」ものの直系だと思います。それは視聴者が欲しいものを送る意味で非常に意味のあるものです。 ですが、それだけ。つまりは視聴者が求めるものだけで、すべてを構成してしまってよいのでしょうか? ニュースにおいても、視聴者が求めるものに走った挙句、ニュースの本質が薄れてしまったように、それだけでゃダメなんです。 アニメにおいても、視聴者が求める一般的にいう「基本に充実」で「視聴者がただ求める」アニメだけで良いのでしょうか? 一例を出しましょう。 アニメ「魔法少女リリカルなのは」は、当初誰からも相手にされないだろうと思われていたアニメでした。 事実、元が元でしたので 正直「今、視聴者がそんなものを求めていない」ということが色濃く写っていました。 つまるところ利益になるとは思えない、利益になっても少しだろうという考えから始まりました。 それでも始まったのは原作者の意向を含めた「見せたい」と思うその内容ゆえだった。魔法少女なんていう古臭い名前を再び出して、その中で伝えたいものがあったからこその作品として、アニメ版リリカルなのはは世に生み出されました。 結果として、原作者の思いから始まったリリカルなのはは、結果としてヒットを飛ばしました。新しいものとしてのそれを放つことに成功したわけです。最低でも第一期は(二期以降は確かに商業主義に偏っている) 視聴者が求めるものだけが本質ではない。発信者の気持ちだって、またそれを伝えたい思いだって大切なんです。 そして、私は今一度、皆さんに問いかけたい。 あなたは「視聴者の求めるもの」を元に作られたものだけが見たいですか? それとも、求めるものだけではなく、「製作者が視聴者に求めたいと思わせる」ようなものが見たいですか? PR |
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コメント |
初めまして、グランといいます。
僕は本当に製作者が視聴者に求めたいと思わせるものがみたいです。 特に最近の芸能関係のニュースや記事を見て思うのですが、僕が思うに、ほとんどが本当に視聴者が求めているがどうかすらも怪しいくだらない内容だと思います。重箱の隅をつつくような些細なことを報道したり、自分勝手に意見を述べてもその後の責任はとらなかったり、事件が起これば複数の報道局で隅から隅まで調べ上げ、全てを曝け出してしまうなどの点が見受けられます。これはまるで報道の自由を盾に取った一種の情報による「いじめ」だと思います。これが本当に報道するものの義務なのでしょうか?もっと他に伝えるべきものがあるのではないのでしょうか? 僕はさらにこのような報道が子供の教育にも影響していると思います。このような大人の汚い部分や報道をみて、子供は何を感じるのでしょうか? しかし、現在の報道が「視聴者の求めるもの」であるのならば、「求める」私たち視聴者にもその責任があるわけです。だから、私達はただ情報を受け取るだけでなく、メディア・リテラシー(情報を評価・識別する能力)を身に付ける必要があると思います。 以上駄文でした。 【2007/10/2019:35】||グラン#985cb00827[ 編集する? ]
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はじめまして、Anubisと言います。
そうですね、「こうあって欲しい」や「これがいい」と言ったものは回転が速く安定しています。 無論、反響も良い。 ただ、そこに作り手が納得して作っているのかどうかと言えばそれが純然たる良い事なのかどうかは別となりましょう。 マスコミにしてみれば、極端な物言いをすれば飯の種になればいい訳です。 そう言った風潮を生み出しているのが民衆だとしたら、それは私たちの方にも責任があります。 ろくに芽も出ていないSS書きではありますが、そこに「楽しんで貰いたい」と言う願いこそ込めますが、その楽しみは簡単に予測が付くモノで本当に楽しいでしょうか? 王道は面白いです。 が、ただの王道では面白くありません、「リリカルなのは」は従来の王道に手を加えたからこそここまで売れたのだと私は思います。 グリフォンさんの言う事は頭の回転が悪いAnubisには全て理解できませんが、本質的には賛成というか頷けるモノだと思います。 【2007/10/2905:15】||Anubis#9a7f238dbb[ 編集する? ]
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